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●障がいを持つということは…
2004年9月発行予定の「OpenAir新聞」からの抜粋第2弾です。
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自閉症障がいを持つ人の確立は1万人当たり66人という統計がある。ダウン症児は、21番目の染色体に数的異常や構造的異常が認められるもので、700から800出産例に1人の割合で産まれる。そのほかにも、知的しょうがや障がい、目や耳の不自由な人、精神障害に苦しむ人など、多くの方が障がいと戦いながら生活を送っている。
先天的な障がいもあれば、事故や病気による後天的なものもあるが、障がい者に共通するのは「自分から好んで障がい者になったのではない」と言うことだ。
日本国民には「納税」「勤労」「教育」の義務がある。オギャーと産まれた瞬間から、いやおうなしに国家との間に締結させられてしまう契約だ。義務があると同時に憲法3章には国民の権利が明文化されており「個人の尊重」「法の下の平等」などがある。
人間は生まれてくる国も親も性別も、自分で選ぶことなどできない。
ある一定の確率で障がい者が生まれてくるのは、避けることができない事実である以上、障がい者福祉は国家の義務であり、社会全体が遂行しなければならない。日本と言う国の社会に属するもの、すなわち企業も個人も、障がい者の生活や幸福を考え、サポートする義務がある。
少し乱暴なたとえではあるが、購入した商品に欠陥があったなら、販売店から企業まで一致団結して補償する。これは販売する側の信用であり、消費者の安心につながる。
元気な人でも、病気や事故によって障がい者になる確率は、みな同じようにある。自分がならなくても、子供や身内に障がいを持った子供が産まれることも。今の日本で、本当に安心して生活できるのだろうか。疑問を抱かない方が恐ろしい。
社会的にあまり取り上げられないのは、障がいを持った人が健常者に比べて圧倒的に少なく、身近な存在でないことに起因する。知的障がい者の多くは、クレームを上げる能力に乏しいという現実も背景の一つだろう。
昨今、行政は盛んにノーマライゼーション や共生と言う言葉を使い、障がい者が地域社会で暮らすことを推進している。一方では、養護学校や聾学校盲学校のように、相変わらずの別学教育にたいし真剣にメスを入れようとはしていない。
このような現状で、共生の社会が実現するなどとても思えない。障がいを持った人と触れ合うことなしに、彼らがどんな場面でどのように苦労しているかなど分かるわけがない。健常な人も、日ごろから障がいを持った人と触れ合うことで、いざというときに役に立つことができるのだ。
別学教育では、障がい者福祉に対して無知の社会人を生み続ける結果になっている。
平成15年度における、一般企業の障がい者雇用達成率は、1.4台にとどまった。この数字はここ数年来横ばい状態だ。毎年雇用を実施しているんもかかわらず、1.8の法廷障がい者雇用率がいっこうに達成できないのは、他にもっと重大な理由があるのではないだろうか。
雇用はたやすいが、継続はがたしだ。
知的障がい者授産施設は、一般就労に向けての通貨施設だ。神奈川県のある施設は、設立後6年目を迎えるが、一般就労にこぎつけた利用者はったの一人しかいない。
企業が知的障がい者の雇用にたいし前向きではないこと、どのような適正があるか理解していないことが原因にある。雇障がい者雇用率2%を達成している東京電力でさえ、484人の障がい者が働く中で、知的障がい者の方はたったの1人しかいない。
多くの人が、日ごろから障がいを持った方と触れ合ってこそ、福祉社会の基盤が磐石となる。
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